研究・技術レポート

研究レポート:論文
[公開日:2009年9月7日]

No.3 歯周病原細菌によるヒストン修飾を介する潜伏感染HIVの再活性化.
J. Immunol. 182: 3688-3695 (2009) 細胞分子生物学 助教 今井 健一

研究内容の主旨

HIVの潜伏感染はエイズ克服のために解決しなければならない難題ですが、どのような機構で潜伏感染ウイルスが再活性化するのかはわかっていませんでした。私達は成人の多くが罹患している歯周病の原因菌 Porphyromonas gingivalisが その代謝産物・酪酸を介して潜伏感染HIVを活性化することを見出し、歯周病がエイズ進展にかかわっている可能性を報告しました

はじめに

2008年のノーベル医学生理学賞が、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)発見の功績に対してフランスのモンタニエ博士とバレ=シヌジ博士に贈られました。HIVはヒトの免疫細胞に感染し、免疫システムを破壊することにより後天性免疫不全症候群(AIDS)を発症させます。今なおHIV感染者は増え続け、現在全世界で約3300万人のエイズ患者が存在し、年間約210万人が亡くなっています。単一の微生物感染症としては最も多くの死亡者をだしており、近年特に中国やインドなどを中心に感染の蔓延が進み世界的な問題となっています。また、我が国は先進国のなかで感染者が増え続けている数少ない国の一つであり増加率も他のアジアの国々に比べても高いことから、早急な対策が必要とされています。

HIVの潜伏感染

エイズの治療を困難としている大きな理由にHIVの潜伏感染があります。現行の抗HIV化学療法はエイズの発症を遅延させることができても潜伏感染しているHIVには無効であるため体内からウイルスを完全に除去することはできません。従って、潜伏感染期のHIV複製をコントロールできるか否かが感染者の予後を作用するといっても過言ではありません。私達の研究を含む最近の研究成果により、染色体の構造をなすクロマチン(ヒストンにDNAが巻きついた構造のものの総称)レベルにおける HIVの潜伏感染様式が次第に明らかになってきました。転写抑制因子によってHIV遺伝子に呼び込まれたヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)は近傍のヒストンを脱アセチル化することにより(ヒストンとDNAの緊密性が増すため遺伝子発現がおこりにくくなります)、HIVの転写を積極的に抑制して潜伏感染を維持することがわかりました。一方で、感染者体内においてこの潜伏感染が どのような状況で破綻し、ウイルスの複製が開始されるのかという問題が残されていましたが、潜伏感染の再活性化はヒトを死に至らしめるため、この問題に ついては多くの研究者の注目を集めるところであるにも関わらず、これまで解明されていませんでした。

歯周病原細菌P. gingivalisによる潜伏感染HIVの活性化

私達は成人の多くが罹患している歯周病の原因菌Porphyromonas gingivalisが “酪酸”という物質を大量に(20~30mMという高濃度で)産生することに注目しました。酪酸にはHDACの酵素活性を阻害作用があり、HIVの潜伏感染にHDACが深くかかわっているので、歯周病原菌感染が潜伏感染HIVを活性化する可能性を考えました。実験の結果、HIV潜伏感染細胞に酪酸を含むP. gingivalisの培養上清を添加したところ、ヒストンのアセチル化(これによりクロマチン構造が弛緩し遺伝子発現が起こりやすくなる)が促進され潜伏感染HIVが再活性化されることを見出しました。歯周病原細菌の酪酸がHIV遺伝子のクロマチン構造を「非活性化型」から「活性化型」に変換することができた訳です。歯周病は世界中で多くの人が罹患している疾患であり、AIDS患者が多い発展途上国や地域においては口腔衛生状態が悪いためより重篤な歯周病患者が多いことが知られています。また、実際に歯周病患者の歯肉溝には潜伏HIVを活性化できる程の高濃度の酪酸が存在することが報告されおり、歯周病がエイズ進展に深くかかわっていることが推察されます。

考察

今回の結果は、これまでよくわかっていなかったHIV潜伏感染の破綻が細菌感染症で起こりうることを分子レベルで初めて明らかにしたものです。またそのメカニズムとして、歯周病原菌が放出する酪酸が直接HIVゲノムに作用している点が微生物間相互作用とエピジェネティック制御機構の観点からも興味深いと思われます。また重要なことに酪酸産生菌は腸管や膣などHIV感染症において極めて重要な体の部位にも常在しています。このような細菌感染症が日和見感染の病原体であると同時にエイズ進展にも深く関わっていることが考えられますので、エイズの進展を阻止するため細菌感染症の予防と治療の重要性が改めて確認されました。

論文掲載情報

Imai, k, Ochiai, K. and Okamoto. T
Reactivation of latent HIV-1 infection by the periodontopathic bacterium Porphyromonas gingivalis involves histone modification.
J. Immunol. 182(6) p3688-3695, 2009.

図説:P. gingivalisによる潜伏感染HIV再活性化の模式図

(潜伏感染状態)潜伏感染状態にあるHIV遺伝子は、抑制因子と共存するHDACによりヒストンが脱アセチル化されています。その結果、抑制性のクロマチン構造が形成されるため、活性化因子等がHIV遺伝子に作用できずウイルスの複製は起こりません。(活性化状態)P. gingivalisが放出する酪酸はHDACを直接阻害し、HDACと抑制因子がHIV遺伝子から遊離することにより開かれたオープンクロマチンが形成されます。その結果、活性化因子がHIV遺伝子に結合できるようになり、HAT(ヒストンアセチル化酵素)によるヒストンのアセチル化も誘導され、最終的にはRNA合成酵素が呼び込まれHIVの複製が起こると考えらます。

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メディア掲載情報

  • 毎日新聞(2009年2月11日朝刊)に紹介された後、AFP通信によりニュースが配信され、yahooやABC、中国日報など多くのネットニュースに紹介していただきました。

研究者 プロフィール

細胞分子生物学 助教 今井 健一
細胞分子生物学
助教 今井 健一

2001年明海大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)。同年4月、名古屋市立大学大学院医学研究科 研究員・非常勤講師として細胞分子生物学分野 岡本 尚教授指導のもと、エイズウイルスの転写制御機構に関する研究を始める。ヒューマンサイエンス振興財団、エイズ予防財団の流動研究員(名古屋市立大学)を経て、2008年10月より名古屋市立大学大学院医学研究科 助教。

疾患の発症機構に興味を持っており、トランスレーショナルリサーチに発展していくような基礎研究を行っていけたらと考えています。今後もこの研究を発展させるべく全力を尽くすとともに、そろそろ人生の方向性についても模索しなければならないと考えています。

趣味 実家のダックスの丸洗い


受賞履歴

  • 2005年 日本エイズ学会 第6回ECC山口メモリアルエイズ研究奨励賞、名古屋市立大学医学会賞を受賞。