細菌学分野概要

名古屋市立大学大学院医学研究科細菌学分野では、臨床細菌感染症から生じる問題点を基礎医学の立場から研究しています。現在の研究の中心は劇症型感染症を引き起こすA群レンサ球菌の研究です。現在教授の長谷川、講師の立野、学内講師の井坂、臨床検査技師の松井がこの疾患に対して様々な角度から研究を行っています。長谷川はA群レンサ球菌が産生する毒素蛋白質を二次元電気泳動や質量分析を用いて同定し、宿主の生体防御機構に対抗する新たな病原性に関与するDNA分解酵素を発見しました。また薬剤が毒素蛋白質の産生の及ぼす影響、二成分制御系といわれる細菌独自の遺伝子発現制御機構の病原性への関与を検討しています。立野は毒素蛋白質の病原性について感染動物モデルを用いて検討し、毒素蛋白質Nga、二成分制御系因子CovRSの研究を行っています。井坂は従来のワクチン研究に加え、最近では二成分制御系が感知する新たなストレスと蛋白質発現の関係を明らかにしています。

 また名古屋市立大学病院の検査部、愛知県衛生研究所、名古屋市衛生研究所、市中の病院と連携して様々な感染症を引き起こす細菌の臨床微生物学的検討も実施しています。最近の研究から2010年以降に新型のA群レンサ球菌の出現が認められ、この菌の臨床における重要性を現在解析中です。

 このように我々の教室では、医学部における細菌学教室として常に臨床感染症を念頭に入れ、その実態解明、診断治療に結びつく応用研究のほか、一方では非常に基礎的な生命現象を探り出そうと言う立場で仕事に励んでいます。修士課程、博士課程で一緒に研究をしたい研究者を待っております。以下劇症型レンサ球菌感染症について我々が行った全国調査を元に説明します。興味のある方はお読みください。

 

   劇症型レンサ球菌感染症は短時間のうちに軟部組織壊死(人喰いバクテリア)や多臓器不全を引き起こし,突発的なショック症状から患者を死に至らしめることが多い重篤な疾患でtoxic shock-like syndromeTSLS)あるいはstreptococcal toxic shock syndrome (STSS)とも呼ばれています。レンサ球菌のなかで咽頭炎、猩紅熱の起因菌として知られるA群レンサ球菌(Streptococcus pyogenes)によるものが圧倒的に多いですが、B,C,G群による症例もあります。日本においても25年程前から報告されるようになった再興感染症で近年患者数は増加傾向にあります。

 

  我々は厚生労働省の班研究にて平成12年から14年にかけて発症した劇症型レンサ球菌感染症の全国アンケート調査を行いました。約90件の症例の回答を得ましたが、実際の患者数は原因不明の急性死亡例のなかに紛れている可能性があり,積極的に細菌学的検査、剖検を実施して死亡原因を究明すればもっと多数の症例の存在が予想されます。66症例について詳細な検討を行いましたが、男女比は男性に多く見られ(60%)、死亡率は男女合わせて約45%であり、過去の調査と比較して低下の傾向は認められませんでした。年齢別発症数は60歳以上の高齢者の比率が高く、かつ死亡率も高いことがわかりました。高齢者の多いことを反映して何らかの基礎疾患をもつ症例が多かったのですが、特徴的なものは認められませんでした。前駆症状、初発症状としていわゆる咽頭痛、発熱、筋肉痛、関節痛、腹痛・下痢、食欲不振などの感冒様症状を呈していた症例が多く認められ、実際感冒として治療を開始した症例もありました。いったん劇症化してしまうと予後が悪いと考えられるため、早期に診断を下し、抗生物質による治療が開始できれば、劇症型になる前に発症をくい止められる可能性もあると考えられます。

 

  従って初期の症状を見落とさず、診断をつけることが死亡率を低下させる手段として重要です。臨床の現場では感冒様症状を呈する疾患のうちレンサ球菌感染症を鑑別診断することは困難かもしれませんが、咽頭、皮膚の所見を参考にし、疑われる場合にはキットによる迅速診断法などの細菌学的検索を行い、診断をつけることが望まれます。たとえレンサ球菌感染症の確定診断がつかなくとも、60歳以上の高齢者で発症率、死亡率が高かったことを考えると、この疾患の疑いのもたれる高齢者に対するペニシリンをはじめとする抗生物質の積極的な使用が死亡率を未然に低下させる手段なのかもしれません。

 

  いったん劇症化してしまうと、治療としては全身管理が主体となり、使用すべき抗菌薬はレンサ球菌に感受性であるペニシリン系薬剤の大量投与とレンサ球菌からの毒素産生を阻害する効果も考えクリンダマイシンの併用が推奨されています。この調査でもこの組み合わせで治療された症例が多く認められましたが、確定診断がつくまでは様々な抗生物質が使用されており、この組み合わせを開始するまでに亡くなった症例も多々見られました。このことからもできるだけ早期の細菌学的な確定診断が重要です。

   

  さらに我々の調査で、生死を分ける因子が臨床症状や検査データにないかと検証しましたが、予想通りどのデータも死亡した症例で悪化している傾向がありました。興味深いデータとして体温と白血球数増加の程度が予後に有意差をもっていることが判明しました。劇症型レンサ球菌感染症の場合、死亡した症例では白血球の誘導の能力が弱かった、菌から放出されるなんらかの因子により誘導が阻害されていた、あるいはこれら両者による可能性が考えられました。

   

  多くの医師が本疾患の存在を知っていること、いつどの医師にもこの疾患に遭遇する可能性があること、死亡率を低下させるためには早期に細菌学的診断を含む確定診断を下し、適切な治療を開始することが重要であることを強調したいと思います。