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10. 窒息

組織が低い酸素分圧下で機能することを強いられると,組織・細胞が低酸素(hypoxia), 無酸素(anoxia)と呼ばれる状態に陥り, 障害状態から遂には死に至る。これを広い意味で窒息という。呼吸すなわちガス交換の プロセスのいかなる段階における機能障害も窒息の原因となりうるが,法医学上窒息といった場合は主として外窒息(mechanical asphyxia, すなわち外呼吸の障害(気道入口部から肺胞までの酸素取込みおよび肺胞からの二酸化炭素呼出の障害)をいい,多くは外因による。

法医学上重要な窒息としてはほかに化学的窒息(chemical asphyxia)があり, 一酸化炭素,青酸などによるものが代表的であるが,死因としてはこれらは中毒(poisoning)に分類される。一方,本来毒性はないとされる二酸化炭素,メタンなどのsuffocating gasが酸素と置換されるによる死,すなわち酸素欠乏による死は,窒息と分類されることが多い。

10.1 外力作用部位および手段による分類

窒息といえば一般に肺胞に酸素が到達せず,血液に酸素が供給されないことがその原因とされるが,後述のように頚部の機械的圧迫で死亡する場合,気道の閉塞は必須条件ではなく,むしろ頚部血管の閉塞,すなわち脳への酸素供給の遮断が障害発生に重要な役割を果たすことが多い。このような脳血流の遮断をともなう窒息をstrangulationとし,もっぱら肺胞への酸素供給の障害による窒息suffocationと区別することがある。

10.1.1 気道入口部閉塞

鼻口部を手・上肢あるいはビニールシートなどで圧迫閉塞する。乳幼児においては, 事故例・非事故例(他殺例)とも多くの報告があり,特異的所見に乏しいため乳幼児突然死症候群(SIDS →p. [*])との鑑別が問題となるが,剖検所見のみからの鑑別は困難である。成人の事故例はまれである(体位性窒息(p. [*])参照)。

10.1.2 気道の圧迫

頚部圧迫による。頚部圧迫による窒息は,縊頚・絞頚・扼頚の3型に分類される。いずれも基本的には 脳血流の循環障害が主因であり,気道の閉塞は必要条件ではない(気管切開していても縊死することは可能である)。頚部の各動静脈等の閉塞に必要な力(重量)はおよそ下表の通りである。

動静脈等 重量  
carotid artery 5kg*  
vertebral artery 30kg  
jugular vein 2kg  
trachea 15kg  
*:頭の重さに相当
vertebral (internal) venous
plexus は解剖学的理由により
閉塞しない。

10.1.3 上気道内腔の閉塞

さるぐつわ, 口腔内異物,気管異物などによる気道内腔の閉塞。気管異物としては,肉片・もちなどの食物のほかに,義歯や金属球,小児の場合ピーナッツや飴などが知られる。気道閉塞は液体によっても生じ,溺水,血液の吸入などによるものがある。

内的要因によるものとしては,声門水腫,扁桃炎等が挙げられる。

10.1.4 末梢気道の閉塞

液体または個体の肺胞への広範な吸入によりガス交換が障害される。

10.1.5 胸郭の圧迫

重量物あるいは機械などにより胸腹部を圧迫されることによる呼吸の障害, ヒトの下敷きになった場合など。高度のエタノール酩酊下で狭い場所等に 入り込んでしまうなどして,呼吸ができない姿勢に陥って窒息することがある。 このように,呼吸運動が制限される状態にあって,その場所または姿勢から逃れる ことができずに窒息することを体位性窒息(positional asphyxia)という。

10.1.6 胸腔内陰圧が破られることによる障害

胸部刺創,血胸,気胸など。原死因が重要である。

10.1.7 吸気中の酸素分圧低下

外気のO$_2$濃度低下,CO$_2$濃度上昇,その他のsuffocating gusによる大気の置換などによる。 狭い場所にとじ込められた場合や酸素分圧の低い所に入った場合に酸素欠乏により窒息する。吸気の酸素濃度が8%以下になると,静脈の酸素分圧よりも低くなるため,肺内で酸素が毛細血管から肺胞へ逆流し,さらに酸素分圧の低下に伴う過換気が生じ重篤な酸素欠乏に陥る。酸素濃度が6%以下のガスを吸入すると速やかに意識を失い死亡するとさ れる。またこれほど酸素濃度が低くなくても,曝露時間が長くなればhypoxia からついには死に至る(遷延性窒息の項参照)。

10.2 窒息の経過

10.2.1 急性窒息および遷延性(亜急性)窒息

気道閉塞等による酸素供給の遮断が完全に近い場合,多くの場合数分〜10分で死に至る。これをとくに区別する場合は急性窒息という。一方気道閉塞等が不完全であったり,閉塞後短時間で解放された場合,あるいは吸入酸素分圧が徐々に低下した場合などにおいては,比較的長時間経過後に死亡することがある。これを遷延性窒息という。肺胞低換気から循環不全等を合併して死に至るとされる。

10.2.2 急性窒息の症状・経過

急性窒息の際にみられる症状は anoxia, hypercapnia による中枢神経症状が主体である。
  1. 無症状期
    1. 気道が閉塞されても体内に備蓄された酸素が利用できるため,しばらくの間はまったく無症状で経過する。
    2. 通常1分以内であるが,息こらえの訓練により延長させることが可能。
    3. 酸素分圧のごく低い気体を吸入した場合は経過が速く,無症状期はほとんどない。
  2. 呼吸困難期
    1. 呼吸困難は最初は深く速い努力性の呼吸(吸気性呼吸困難)であるが,その後呼気の延長をともなう,呼気性呼吸困難に移行する。
    2. 吸気性呼吸困難期には心拍数,血圧の上昇は必発で,チアノーゼがみられる。
    3. 呼気性呼吸困難期には脳血流におけるanoxia, hypercapniaにより痙攣・徐脈傾向が出現しついには意識消失に至る。
    4. 2分〜数分間。
  3. 無呼吸期
    1. 呼吸中枢のhypercapniaに対する反応が減弱し,呼吸数が徐々に減少する。
    2. 徐脈・血圧低下は著明となり,心室細動がみられる。
    3. 持続は2分程度で,この期に至る前に救命処置を施す必要があるとされる。
  4. 終末呼吸期
    1. 呼吸中枢は麻痺に向かい,深くゆっくりした呼吸が数回行われ,その間隔が長くなって呼吸停止に至る。
    2. 持続は1分程度だが,その後完全な心停止に至るまではなお数分ないし数十分を要する。
図 10.1: 窒息の経過
Image asphyxia\includegraphics[width=12truecm,clip]{asphyxia.eps}


10.3 窒息死の所見

10.3.1 諸臓器のうっ血(visceral congestion)

肺・肝・腎・脳等ほぼすべての臓器に起こる。毛細血管および静脈はhypoxia に敏感に反応して拡張し,そこに血液が貯留する。脾臓はうっ血をまぬがれることがあり,カテコラミン過分泌による血液放出によると説明されている。なお頚部圧迫による窒息で,動脈の閉鎖が不充分な場合には,圧迫部より上(顔面)でうっ血が認められる (頚部圧迫の項参照)。


10.3.2 溢血点(petechiae)

溢血点とは漿膜下および粘膜下に見られる小出血斑であり,外表では眼瞼・眼球結膜,口腔粘膜のほかに,顔面・前胸部などの皮膚にも出現する。内部では肺壁側・臓側胸膜,心外膜,咽頭・喉頭粘膜,気管,胸腺,腎盂粘膜などで認められる。 カテコラミン過分泌による血圧上昇あるいは血管攣縮,およびanoxiaによる血管透過性亢進がその成因とされる。

10.3.3 暗赤色流動性血液(postmortem fluidity of blood)

心臓および大血管内の血液はanoxiaによる還元ヘモグロビン増加のため暗赤色を呈し流動性である。凝固が起こらない理由としては,死戦期に血管壁などから plasminogen activatorが分泌され,これが血中のplasminogenに作用してplasminを形成しfibrinを溶かす等の説明がなされているが,完全には解明されていない。

以上の3つの所見は「急性死の3徴」といわれる。「窒息死の3徴」という語もあるが,急性死一般に見られる所見である。ただし,急性窒息の際に著明に出るとはいえる。

10.4 縊頚(hanging)

頚部に索状物(索条 ligature)を巻き,自らの体重で索条に張力をかけて,頚部を 圧迫する。有史以来あらゆるものが索条として利用されている。 まれには索条以外のもの(木の枝,柵等)による縊頚もある。死亡機序としては脳の循環不全による酸素欠乏がまず挙げられる。気道の閉塞は気管の圧迫および舌根の後上方への挙上による気道の閉鎖によって生ずるが,縊死するための必要条件ではない。またときに頚静脈洞や迷走神経の圧迫によって心停止が生ずることがあるという。

10.4.1 疫学

  1. わが国における自殺の手段としては最もポピュラーであり,総数の約6割を占める。
  2. 大部分は自殺であるが,ときには事故によるものもある。
  3. 事故例としては,小児が遊んでいて起こす場合が比較的多い。 成人では労災事故の他に性的興奮を求めているうちに誤って死亡する(sexual asphyxia, autoerotic asphyxia)ことがある。この場合被害者はほとんど男性とされる。
  4. 他殺例はごくまれであるが,偽装されることはある。

10.4.2 定型的縊頚および非定型的縊頚

定型的縊頚とは
  1. 足等が地面・壁面から完全に離れ,索条が全体重を支えており(complete suspension),
  2. しかも索条が前頚部にかかり,左右対称に前下方から後上方 に向かい,懸垂点が項部正中にある
ものをいう。身体の一部が接地していて全体重がかかっていない場合(imcomplete suspension)や, 索条のかかりかたが左右対称でない,ないし索条が前頚部にかかっていない等,定型的縊頚の条件に外れるものを非定型的縊頚という。非定型的縊頚は極めてしばしば見られ,頻度は定型的縊頚よりも高い。

10.4.3 死体所見

急性死の3徴のほかに見られる所見を挙げる。

10.4.3.1 索痕・索溝

索条の圧迫・擦過等によって生じた表皮剥脱等を索痕(ligature mark)といい,それが溝状に陥凹したものを索溝(furrow)と呼ぶ。 索条の性状にもよるが,索溝は圧迫時間が長いほど著明になり,また死後の乾燥によっても著明となる。

定型的縊頚では索溝は前頚部で最も低く位置し舌骨の高さを通り,左右対称性に後上進し下顎角の後方から耳介後側に向かう。索条に結節がある場合(閉鎖係蹄)には後頭部に逆V字状の索痕を生じる。非定型的縊頚では索条の走行,懸垂の態様によってさまざまな索痕が生ずる。また懸垂時に身体の回旋等により索条のズレが生じ,擦過による複数の表皮剥脱が発生することがある。

比較的硬く凹凸のある索条が用いられた場合,その表面の形状・紋様の鏡像(mirror image)が索痕に残される場合があり,凹部には皮下出血を見ることもある。また, 索条が2回以上巻かれた場合,2本の索条間に挟まれた皮膚に出血や水泡形成を見ることがある。 これを索溝間出血(間稜出血)という。

10.4.3.2 顔面のうっ血・溢血点

  1. 定型的縊頚では頚動脈・椎骨動脈がほぼ完全に閉鎖するので,顔面はうっ血せずに蒼白となり,(眼瞼結膜等には)溢血点も見られないことが多い。
  2. 非定型的縊頚では索条の走行や体重のかかりかたにより一定しないが,頚静脈が閉鎖し,動脈の閉鎖が不完全であればその程度に応じうっ血が生じ,溢血点も発現しうる。

10.4.3.3 死斑

死後数時間以上懸垂されたままであれば,血液は下方すなわち前腕・手・下腿等に 就下し同部に死斑を生ずる。時には重力(静水圧)により血管が破綻し,点状の 小出血(いわゆるTardieu spot →p. [*])を見ることがある。

10.4.3.4 その他の外表所見

舌の突出,流涎,尿失禁,脱糞,漏精などを見る。

10.4.3.5 頚部の内部所見

縊頚の際には頚部の軟部組織に肉眼的出血がまったく認められないことも多いが,以下の所見が見られることがある。
  1. 浅頚筋の出血:索条の直接的圧迫によるとされる。
  2. 舌骨大角・甲状軟骨上角の骨折:頻度は比較的低く,また必ずしも生活反応ではない。
  3. 頚椎骨折・脱臼:一般の縊頚では稀であり,また死因には寄与しないとされている。絞首刑や,橋の欄干などを用いて高所から飛び降りるように縊頚をはかった場合に生じ,時には頚部が離断されることもあるが,これらの場合はもはや縊頚(縊死)とはいいがたい。

10.4.4 索条の取り扱い

発見時に死亡していることが明らかであり,索条が頚部に巻かれたままの場合は,これを取り除いてはならない。検視・検案時にはまず写真を撮影し,索条の走行を記録してから,交叉部・結節部を固定し(結節を解いてはならない),これらの部位を避けて2ヵ所を糸等で束ねて目印とし,その間を切断する。こうすることにより,後刻復元が可能となる。

10.5 絞頚(ligature strangulation)

体重以外の力により索条に張力をかけ頚部を圧迫する。 「力」としては手によるものが多いが,事故死の場合は機械等さまざまな作用が考えられる。索条としてはやはりありとあらゆるものが使用されるが,一般的には比較的短く 身近にあるものが多いとされる。窒息機転は縊頚と同様であるが,多くの場合気道は 完全には閉鎖されず,血管の閉鎖による脳循環不全が主因となる。

10.5.1 疫学

  1. わが国においては他殺の方法としてもっともポピュラーなものといえる。
  2. 自為によるもの(自絞)もある。自殺方法として頻度は高くないが,わが国は自殺者総数が多い一方他殺は少ないので,絞頚の中で自絞が占める割合はけっして無視できるほど小さくはない。
  3. 索条が頚部を半周していれば絞頚は可能であるが,しばしば複数回巻かれており,結節がある場合,ない場合とも普通にみられる。後者の場合交叉させることにより索条が弛まなくなっていることもある。
  4. 自絞の場合
    1. 索条の巻き方が自為により可能であることだけでなく,結紮や交叉により,牽引力がなくても索条が弛まないことが原則として必要である。
    2. 索条を緩く巻き結節を作り,索条と皮膚の間に棒状のものを入れねじ絞める といった方法がとられることもある。
    3. 索条が衣服や頭髪を巻き込んでいないこと,索条が数周比較的整然と 巻かれていること,索条の両端の頚部を圧迫していない部分の長さがほぼ等しい こと,2種類以上の索条を巻いていることなどが特徴とされる。

  5. 事故死はまれだが,ネクタイやスカーフなどが機械に巻き込まれて窒息する例や,縊頚と同様性的興奮を求めて頚部を圧迫しているうちに死に至る例がある。

10.5.2 死体所見

10.5.2.1 索痕・索溝

  1. 索痕は頚部をほぼ水平に走ることが多く,縊頚の場合より低い位置(喉頭ないし気管上部の高さ)にあることが多い。
  2. 硬い索条(電気コード等)を用いた場合には頚部を完全に1周することも あるが,後頚部では不明瞭であることも多い。
  3. 皮膚と索条との間に頭髪・着衣等が介在した部分では,索痕を欠くことがあり,これは他為を示唆するものであるといわれる。
  4. 索条の結節や交叉に相当する部位では索痕は深く広く,あるいは不規則になり,表皮剥脱を伴うこともある。
  5. 索条のズレによる表皮剥脱もしばしば見られ,また,索条の重なりにより索溝が重複することもあるので,一見索溝の数と索条が巻かれた回数が合わないように見えることがある。
  6. 加害者により犯行後直ちに索条が除去された場合,はっきりとした索痕が認められないことがある。とくにタオル等の軟性索条により圧迫された場合には注意を要する。
  7. 索痕周囲に微細な線状ないし帯状表皮剥脱を伴うことがある(fingernail mark)。これは加害者によっても,索条をはずそうとする被害者によっても作られうるが,いずれにしても他為を示唆するものとされる。

10.5.2.2 顔面のうっ血・溢血点

  1. 動脈の閉鎖は不充分であり,窒息の過程が縊頚より遷延するので,索溝 より上方には高度のうっ血が生じることが多く,また顔面は腫脹する。
  2. 溢血点は結膜・口腔粘膜等に多数出現するのみでなく,顔面の皮膚にも生ずる。

10.5.2.3 頚部の内部所見

  1. 軟部組織出血:比較的多くの例で頚部の皮下組織,浅頚筋等に出血が生ずる。
  2. 筋膜下・筋肉内の出血はそれほど広範囲なものではないので,剖検の際には注意深く観察する必要がある。

     一般に胸腹部臓器および脳を摘出して血液をドレナージした後,舌骨下筋群を1枚ずつはがして観察する方法(anterior neck dissection)がとられる。

  3. 舌骨・甲状軟骨骨折:甲状軟骨の方が舌骨よりも骨折する頻度が高いとされる。これは圧迫部が多くの場合甲状軟骨の高さに相当するからである。上角のほか,ときには甲状軟骨板に骨折が生ずる。小児や若い成人の場合は軟骨に弾力があり,折れないことも多い。
  4. 舌・咽頭・喉頭の出血:咽頭・喉頭の粘膜下には強い充血・出血が見られることがある。また舌筋内に広範な出血を見ることもある。

10.5.2.4 その他の内部所見

  1. 肺は強くうっ血し,水腫を伴う。この状態で呼吸がなされると気道内に細小泡沫が見られる。
  2. 脳も強くうっ血し浮腫状となり,時にくも膜下出血が認められる。

10.5.3 外表検査上の注意

  1. 索条が巻きつけられたままの状態であれば,その取り扱いは縊頚の項で 述べた通りにする。
  2. 索条については,その組成,幅,長さ,走行や位置,結節があれば その方法などを記載する。
  3. 索条の有無にかかわらず頚囲を測定する。後日,成傷器とされる索条で実際に絞頚可能であるか否かを検討する際に必要となるからである。
  4. 時に被害者の頚部や手(爪)には加害者由来の微物等が付着していることがあるので(実際には被害者由来のものであることが多いようであるが),必要に応じて試料を採取する。

10.6 扼頚(manual strangulation)

手・腕,まれには下肢を用いて頚部を圧迫し窒息させることをいう。 扼頚の方法としては片手あるいは両手を用いて頚部を圧迫するほか,上肢を頚部に巻いて扼圧する,あるいは一部被害者の着衣(襟など)を用いる場合等がある。

窒息機転は血管の閉鎖による脳循環不全であり,ほとんどの場合気道は完全には閉鎖されず,気道圧迫の死への関与は小さいとされる。また頚静脈洞や迷走神経の圧迫により,徐脈から心停止に至ることがありうるとされるが,報告例は多くない。いわゆる「空手チョップ」により,失神し,あるいは死亡した例がこれに相当するといわれることがあるが,実際の死亡例では頚部器官の損傷が強く,これと出血や浮腫が窒息の原因となることが多いとされる。

10.6.1 疫学

  1. 扼頚は実質的にはすべて他殺と考えてよく,被害者は体格,体力的弱者(高齢者・小児・一部の女性)が多い。
  2. 自殺目的で自らの頚部を扼圧しても意識消失に伴い,圧迫は消失し通常未遂に終わる。
  3. 性的興奮を求めてパートナーの頚部を圧迫しているうちに誤って死亡させたというような供述が得られることもあるが,このような例を事故(過失)死とすべきではない。

10.6.2 死体所見

10.6.2.1 扼痕

  1. 前頚部や側頚部に半月形の爪痕(表皮剥脱),類円形ないし不整形の表皮剥脱・皮下出血が複数認められる。
  2. 加害者の手による圧迫と被害者がこれを取り除こうとするために生ずる。
  3. 必ずしも頚部に限局されず,顔面などにも認められる。
  4. 被害者が小児等の場合はこのような痕跡をいっさい欠くこともある。
  5. 扼頚後に絞頚がなされることがあり(絞扼頚),この場合,被害者の頚部には扼痕と絞痕が混在することになるので注意を要する。

10.6.2.2 顔面のうっ血・溢血点

  1. 頚静脈は閉鎖しても,頚動脈が早期に完全に閉鎖することはないので,顔面はうっ血する。
  2. 圧迫力に強弱があることが多いので,開放・閉鎖を繰り返すことによりうっ血所見が増強される。
  3. ただし扼頚の場合,死後速やかに圧迫が解除されるので実際にはうっ血が弱い こともまれではない。
  4. 溢血点は結膜・口腔粘膜・皮膚等に出現する。

10.6.2.3 頚部の内部所見

  1. 軟部組織出血:多くの例で頚部の皮下組織,浅頚筋等に出血が生ずる。
  2. 舌骨・喉頭軟骨骨折:舌骨・甲状軟骨大角が圧迫により骨折する。 甲状軟骨板・輪状軟骨は前頚部の打撲,あるいは脊椎との挟圧によって骨折することが ある。
  3. 咽頭・喉頭粘膜下の出血,肺うっ血などが見られ,気道内に細小泡沫を認めることがある。

10.6.2.4 その他

  1. 加害者と被害者の手が交錯するので手・上肢に表皮剥脱・皮下出血が 見られることがある。
  2. 一般に扼頚においては加害者は扼頚自体に必要とする以上の力を被害者に対してかけようとするので,格闘時と同様の損傷がしばしば生ずる。


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Aoki
2010年2月3日