名市大 環境保健(衛生学)












1949〜1954:入鹿山且郎 教授
 衛生学講座は昭和24年9月、本学部の前身である名古屋女子医科大学の1講座として設立された。初代教授には入鹿山且郎教授(昭和29年、熊本大学医学部衛生学講座教授に転任)が就任され、また、名古屋市立女子医学専門学校(本学の前身)を第1期生として昭和23年に卒業された青山光子先生が助手に就任された。昭和25年に名古屋市立大学医学部の講座になった。このように衛生学教室は医学部の中でも伝統ある分野の一つである。
 講座開設当時は終戦後まもなくのことであり、研究機材も多くはなく、また、スタッフも教授、助手のわずか2人という厳しい条件下ではあったが、環境衛生、労働衛生分野を主体とした先進的な研究が行われた。

1954〜1976 :六鹿鶴雄 教授

昭和29年9月(1954)に入鹿山先生が熊本大学へ転任され、第2代教授として、昭和29年12月、六鹿鶴雄先生(昭和51年退官、名誉教授、昭和61年ご逝去)が大阪医科大学より赴任された。六鹿教授の在任中は、大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などの公害問題、住居や地下街、衣服、食品、廃棄物処理など、生活環境が生体に及ぼす影響を多角的に究明し、広範にわたる研究が多数実施された。

 昭和30年代後半から40年代にかけては、高度成長政策の歪みともいえる公害のもっとも顕著な時代であり、環境が著しく悪化した時期であった。本講座では昭和30年代前半からすでに公害研究にとりかかっており、青山助教授、長坂 定、曽我一郎講師を中心に名古屋市、瀬戸市などの大気汚染状況の分析・評価を実施していた。また、昭和35年には大気汚染と呼吸器疾患死亡率の関係を発表し、大気汚染による生体影響を早くから予知、警告するなど、公害研究ではパイオニア的存在となっていた。また、廃棄物処理問題についてもいち早く注目し、昭和46年から51年にわたる6年間に「産業廃棄物処理に関する調査研究報告」6編を編集・発刊し、全国的にも高く評価され、廃棄物処理行政にも多大な貢献をした。住居、地下街などの環境に関する生活衛生の研究も行われ、公共の場所に冷房が普及し始める時期には「冷房病」の発生機転を究明した。さらに、地下街が名古屋にはじめて完成した昭和30年代には、その環境の測定、評価を実施し、改善についても助言した。

 労働衛生分野では、振動、騒音などの研究がなされていたが、昭和32年に助教授として、奥谷博俊先生(
昭和35年公衆衛生学講座教授、名誉教授平成21年ご逝去)が名古屋大学から赴任されたのを契機に、愛知県の地場産業である陶磁器生産のメッカ、瀬戸地方を中心としたじん肺、金属中毒などの調査・研究、それに基づく職場の改善に取り組むようになった。奥谷先生は昭和35年10月、公衆衛生学講座設立とともに初代教授に就任された。

 六鹿教授は、昭和42年に第37回日本衛生学会総会を開催されるなど専門分野における学会活動を精力的に行われると同時に、衛生・公衆衛生行政にも参与され、愛知県公害対策審議会会長、同公害被害認定審査会会長、名古屋市公害対策審議会会長などを歴任されたのち、昭和50年3月退官され、同年4月名誉教授となられた。

1976〜1991:青山光子 教授
青山光子教授は、六鹿前教授の後任として、昭和51年6月、助教授から第3代教授に昇任された。就任後の講座では、気候要素、公害、衣服衛生、栄養、食品衛生など広義の環境と健康との関係に関する研究が多岐にわたって行われた。

 公害研究では、名古屋市内ならびにその周辺地区の大気汚染の実態を明らかにするとともに大気汚染物質、自動車排気ガスの生体影響などについて多くの研究がなされ、とくに自動車排気ガスの動物実験では国内外で高い評価を得る成果を挙げた。これらの業績により、大気汚染研究全国協議会賞が青山教授に授与されている(昭和50年)。

 青山教授は衣服衛生分野では関連学会でも第一人者であり、人のもっとも身近な局所気候である衣服気候についても実験、解析し、快適な衣服と健康との関わりを究明した。また、繊維加工処理剤による健康被害の実態と原因に関する研究も実施した。繊維加工処理剤は繊維、生地の品質、性状を変化させ、我々が都合よく利用する目的のために用いられている。しかし、本講座の一連の研究により、繊維加工処理剤から溶出したホルマリンなどの化学物質が皮膚障害等の健康被害を引き起こすことを明らかにした。これは、衣服衛生の面で先駆的な仕事であり、この一連の研究は我が国における家庭用品安全対策を推進する大きな契機となり、昭和49年から始まった有害物質含有家庭用品規制の基礎資料となった。

 癌、循環器疾患をはじめとする成人病やその他多くの疾病の重要なリスクファクターとなっている喫煙問題についても本講座では早くから着目し、その健康影響について問題提起した。さらに、青少年の間で流行しているシンナーや接着剤遊びについても動物実験により生殖能力への影響などの毒性を明白にした。

 そのほか、全国的に交通事故死が多い愛知県の事故予防のため実態調査・原因分析を実施し、交通事故減少のために尽力した。医学の立場でこのような安全問題研究を早くから実施している講座は稀であり、科学的な手法を用いて事故の分析ならびにその対応策作りに取り組んだ。
 青山教授は上記のような研究活動を積極的になされ、その業績により昭和50年に日本女医会吉岡弥生賞を授与されている。また、研究活動のほかにも地域衛生・環境衛生行政に甚大な貢献をされ、通産省繊維製品安全対策会議委員、農林省農林規格委員、愛知件公害対策審議会委員、中部空港調査会専門員等々を歴任された。青山教授は平成3年3月に定年退官され、同年4月名誉教授となられた。また、平成18年11月には、これまでの功績が讃えられ、「瑞宝中綬章」が贈られた。この勲章は国家又は公共への功労、公務に永年従事して業績を挙げた人に贈られるものである。


1991〜2007:井谷徹 教授
 
平成3年10月、第4代教授として岡山大学より井谷徹 先生が赴任された。井谷教授就任後、旧来より衛生学教室で実施してきた環境衛生、衣服衛生分野の研究を続けながら、成瀬正春講師、城 憲秀講師、臼田章則助手らを中心に新たに、労働負担、職業性ストレス、産業疲労、作業関連疾患、作業環境など労働衛生の研究、職域に於ける健康管理、健康づくりなどの新しい研究にも取り組んだ。

 平成9年以降は、井谷徹教授、城憲秀助教授、坂村修助手、武山英麿助手らを中心にフィリピン、タイ国などにおける中小企業を対象とした職場改善プログラムを展開、地域に根ざした実践重視の活動は国内外でも高い評価を得られている。衛生学は、幅広い領域を有する実践科学であり、その研究対象を拡充している。職域や地域のニーズに応じた研究活動に力点をおき、平成16年には産業現場応用をねらいとした作業関連運動器疾患予防のためのISO国際規格(技術仕様書)の策定にご尽力された。

 また、井谷教授は、学内においては医学研究科副研究科長、学外においては人事院「疲労の蓄積と脳・心臓疾患に関する研究会」委員、社会保険庁「政府管掌健康保健メンタルヘルス対策研究会」委員、ISO/TC159/SC3(人間工学専門委員会の人体計測と生体力学に関する委員会)の国際議長、日本産業衛生学会理事、日本産業衛生学会東海地方会長などを就任され、学内外においてもその功績は広く認められている。

 平成12年には医学研究科の改組に伴い、講座名は「労働・生活・環境保健学分野」となった(大学院大学化に伴い、“講座”ではなく“分野”に変更)。

 平成16年には第77回日本産業衛生学会大会長を務め、また同年11月
にはThe International Symposium on Occupational Health in Small-scale Enterprises and the Informal Sector(国際シンポジウム「中小企業およびインフォーマル・セクタにおける産業保健」)の大会長も歴任された。
さらに、人間工学関連の国際規格採択にご尽力されたことや国際議長を務められ、人間工学の発展に貢献されたことが評価され、経済産業大臣より平成18年度「工業標準化事業経済産業大臣表彰」が授与された。
平成19年1月には国際労働機関(ILO)本部の労働保護局長として転出された。

>>>井谷徹先生15年の歩みビデオ(66MB)
 
(MPEG1形式。Media Playerなどで再生ください)


2009〜:上島通浩 教授

平成21年4月、分野名称を「環境保健学分野」と改名し、第5代教授として名古屋大学より上島通浩先生が赴任された。上島教授、榎原 毅講師、伊藤由起助教を中心に、化学物質のリスク評価、人間工学的研究やウイルス性肝炎の感染疫学調査などに取り組んでいる(詳細は「研究内容」を参照)。



















 Updated: 3/7/2016
 
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