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No.6「環境化学物質のリスク評価とリスク管理」

「環境と子どもの健康 最前線No.6」では、環境化学物質の毒性評価を専門としている名古屋市立大学大学院の伊藤由起先生に、化学物質のリスク評価とリスク管理について解説いただきました。
普段の生活のなかで何気なく耳にしている基準値がどうやって決まっているか、見てみましょう。

はじめに

エコチル調査も既に3年目に入り多くの皆さまにご参加・ご協力を頂いております。皆さまのご参加の理由は様々かと思いますが、多くの方が未来の子供たちの健やかな成長の一助けになれば、との思いで参加下さったのではないでしょうか。エコチル調査の主目的の一つは、化学物質が子どもの健康にどのような影響を与えるかを明らかにし、国の政策に生かしていくことです。そうはいっても、どのような過程を踏まれるかイメージできませんよね。そこで、この調査で明らかになったことが、どのように国の施策に反映され皆さまの生活に還元されていくかを簡単に紹介しようと思います。

化学物質って安全??

まず初めに、現在どれだけの化学物質が地球上に存在するかご存知ですか?米国化学会の化学物質情報サービス(CAS Registry)には7千万超の有機・無機化合物が登録されています(*注1)。つまり私達の日常生活はあらゆる化学物質の恩恵を得て成り立っており、化学物質のない生活をおくるのは不可能だと言っても過言ではありません。では、これらの化学物質は安全なのでしょうか?
ここで覚えておいていただきたいのは、スイスの医師、錬金術師であったパラケルスス(1493~1541*注2)の、「すべての物質は毒であり、毒でないものはありえない。ただ用量が毒と薬を区別するのである。」という言葉です。
言い換えれば、我々の体の中に取り込まれる量が少なければ、毒性はでないということになります。したがって、我々の身の回りの様々な化学物質は安全な範囲内の使用になるように規制をうけています。大気中ならびに食品中の放射性物質の話や、最近では大気中の2.5μm以下の微小粒子状物質(PM2.5)の話で、基準値と言う言葉をマスメディアで見聞きした方も多いのではないでしょうか。では、この基準値や指針値というものがどのように決まるのでしょうか。

*注1:ここでいう化学物質には人工のものだけではなく天然由来のものも含む。また、アルコールを分解する酵素等、生体内に既に皆有しているものも含まれる。
*注2:生年・没年に関して諸説あり。漫画「鋼の錬金術師」のヴァン・ホーエンハイムのモデルとしても有名。

化学物質のリスク評価とリスク管理

基準値を決めるためには、「リスク評価」という作業をする必要があります。ここで注意しなければならないのは、リスクというのは、毒性・有害危険性の強さに曝露濃度(ヒトが摂取する量)を加味したものです。 つまり、毒性がいくら強くても、我々が曝露する可能性の低いものはリスクが低いということになります。毒性の強さは、人を対象にした疫学調査や動物実験の結果から導き出されます。ヒトで明らかに毒性影響が報告されているものはこれを重要視するのですが、ヒトでの研究は時間や莫大な費用がかかることや、またヒトで毒性が懸念される前に毒性を明らかにする必要性から、多くの化学物質においてヒトのデータは限定的です。そこで、実験動物同様ヒトに毒性があるかどうかは、その毒性機序を明らかにした上で判断する必要があります。例えば、ある揮発性の化学物質をラットに曝露した時に鼻腔がんが見られた場合、嗅覚機能はラットの方が人に比べて優れている点を注意しなければなりません。このような実験動物とヒトの間の差がリスク評価を難しくしています。したがって、実験動物で毒性の見られなかった最も高い濃度(最大無毒性量)を安全係数(不確実係数)で除することで多くの基準値等は策定されています。
では具体例を挙げてみましょう。フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)は塩化ビニル製プラスチック(PVC)製品を加工する際に、柔軟性を与えるために添加される可塑剤(かそざい)の1種です。DEHPは可塑剤の中でも、その特性に優れている為、PVC製の手袋や医療用チューブ、血液バック、電線被覆、農業用シート等に汎用されてきました。しかし、DEPPは動物実験において肝がんや生殖影響を引き起こすことが報告されてきました。その毒性機序が明らかになる中で、DEHPが作用する受容体にはマウスやラットとヒトで機能や発現量に違いがあることがわかってきました。では、DEHPはヒトで同じように肝がんや生殖影響を引き起こすのでしょうか?これまでの学術知見を専門家会議で精査した結果、実験動物における最大無毒性量は3mg/体重kgでした。前述の通りDEHPの作用はマウスやラット等のげっ歯類とヒトで差があると考えられるので10、ヒトの中での個人差を考慮した10の計100を不確実係数とし、0.3 mg/体重kg/日を食品安全委員会は2013年2月に耐容一日摂取量(ヒトが一生涯摂取し続けても毒性がでないと考えられる量)として公表しました。
これまでもDEHPの曝露を減らすために色々な施策が行われてきました。従来、透析患者や経鼻栄養の新生児・乳児などがDEHPに曝露する可能性が高いと考えられていた為、透析患者の血中のDEHPの代謝物量を測定し、曝露量の調査研究が国内外で行われてきました。2002年に厚生労働省から医療用具からのDEHP溶出を低減するよう通達が出され、医療用具メーカーの開発努力もあり、DEHPを使用したものと同等のDEHP・可塑剤不使用の代替品が使用されるようになりました。また、市販弁当や病院食中のDEHP測定の結果、調理時に食中毒予防のために使用されていたPVC手袋からDEHPが市販弁当に移行していることが判明し、2000年に市販弁当へのDEHP含有手袋の使用を避けるよう厚生省から通達が出され、DEHPの検出濃度は激減しました。おもちゃについても、乳幼児の遊び道具のうち、口に接触するものや手に持って遊ぶことで乳幼児が口に入れたり、舐めたりすることが考えられるものにおいても使用が禁止されてきました。このように研究結果によりヒトでの毒性が懸念されるものは、その都度規制が行われています。

最後に

ヒトでの健康影響や化学物質の曝露濃度を評価した研究が、このリスク評価そして基準値等によるリスク管理において非常に重要だということがお分かりいただけたのではないでしょうか。というわけで、皆さまの貴重な血液や尿などの生体試料を有効に活用する為に、エコチル調査の追加調査や詳細調査にもぜひご協力頂きますようよろしくお願い致します!