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No.001「同窓会賞受賞の挨拶~これまでの歩みを顧みて~」

[掲載日:2009年6月15日]
水谷 孝文(S31年卒)

このたびは名古屋市立大学医学部同窓会賞初の受賞にあずかり光栄に存じております。
私は卒後精神科に入局して52年目を迎えますが、振り返ってみますと、入局当時の精神科の治療といえばショック療法やロボトミーなどが一般に行われていて、ようやく新たな方向性としてクロルプロマジンなどの薬物が導入され、いわば近代精神科医療の黎明期を迎えようとする時期でした。また精神科病棟といえば鉄格子がつきもので、患者さんはそこに収容されて治療を受けるというイメージのものでした。私の入局当時の恩師吉田先生は、そうしたなか、「精神病者に対して人間的な理解に基づく治療法」を心がけ、「統合失調症患者の精神療法の確立」を目指して、日夜患者と生活を共にしながら黙々と聖者のように研究活動を続けておられました。私は先生のその貴いお姿に深い感動と敬慕の念を抱き、そのなかに「精神科医としてのあるべき姿と理念」を掴む事ができました。

昭和34年春、若くして他界された吉田教授のご遺志を継いで、私なりに先生が追究された「精神病者の人間的理解に基づく治療法」を、大学の研究の立場から、実社会の病院に移して自らこれを実行したいと考え、八事病院設立の決意を固めました。

最初に建てたのは、木造平屋建ての1棟で、全開放30床という小さなものでしたが、私はそこに患者と24時間共同生活をしながら治療に当たりました。閉鎖病棟のない病棟で、開放病棟から出発したことにより、医師も看護師も、そのほかの職員もすべてが患者に接することになり、ひとりでに相互の人間的つながりができあがっていきました。施設はその後幾多の苦労はありましたが「病院は全て患者さんのためにある」をモットーに運営の近代化、合理化を目指して逐次計画的な増改築、整備を重ねました。そして11年後には鉄筋コンクリート建ての現在の病院の基礎ができあがり病院の運用を軌道にのせることができました。

その頃、母校の医学部では女子医専時代から存続していた同窓会に改革の気運が持ち上がり、会員の声をより良く反映し、自律性と民主的な運営を重視した同窓会にすべく、初代の会長としての重責を担うことになりました。立ち上げには多くの方々に惜しみない協力を頂くことができ、熱い議論を熱心にくり返し、同窓会の親睦、発展、大学の将来を論じたことでありました。

一方、昭和40年頃からは、日本精神科病院協会、愛知県精神病協会、愛知県医師会、名古屋市医師会からの役職の委嘱が相次ぎ、愛知県精神病協会副会長、日本精神科病院協会労務担当委員、医療経済委員、看護問題等委員、愛知県精神医療審査会委員など、いつも複数の役職を担い、平成16年3月すべての役職を辞退するまでは、「障害者の人権の擁護と社会復帰を目指した医療」が実現されるよう誠心誠意奉仕をして参りました。常に進歩する社会のなかで病院の運営と多くの役職の兼任は、時として重圧を感ずる時もありましたが、真摯に取り組むなかに、国や県の構想や示唆に富んだ意見、貴重な情報や知識が得られて、自らの経営する病院の運営、方向性を定めるうえで、一つの羅針盤的役割を果たしてくれたことも事実です。病める人々を救う確固とした信念を持って進む時、その実現に向かってここまでやってこられたのは、その一こま一こまに優れた指導者と掛け替えのない多くの協力者に恵まれたことによるものと心より感謝しています。目まぐるしく変動をくり返す現代社会において、母校名古屋市立大学医学部の将来を見据えた発展と同窓会の健全な発展を祈るものです。